台風が過ぎ去ったかと思えば、また柏に暑さが再来してきました。
最も暑かった時に比較すればやや気温は低いと思いますが、それでも先日までの涼しかった様子はなくなってしまいました。
さて、暑さや寒さは、挨拶に使われることが少なくありません。
道を歩いていて知人とすれ違えば、「今日も暑いですね」などとニコニコした顔で言うものである。冬には、これが「寒いですね」となり、時には「いい天気ですね」などと言う。
ここには、どこかカウンセリングでいうところの共感に近いものが生じているように思う。
冗談では済まない危険な暑さ
しかし、最近ではこの挨拶が自然と出てこないことがないだろうか。「暑いですね」と言う余裕がなく、少しでも日陰を求めたり、目的地に急ぎたくなる思いで外を歩いている人も少なくないでしょう。
冗談交じりに「暑くて困ったねー」くらいは言えそうなものだが、それさえも出てこないことがないでしょうか。
そこには、冗談を言えないくらいの暑さがやってきているという背景があるのではないでしょうか。
むしろ、その場の空気・心情に最も近い表現は、「今日の天気は危険ですね。なるべく家にいましょう」などという風になるのではないだろうか。
風鈴の音が涼しさを運んでくれるとは思えなくなったように、「暑いですね」という言葉も本来の意味を失ってしまったかのようであります。
暑さの中でクールビズの浸透
数年前から、ようやく、クールビズスタイルが、社会的にも認められるようになってきました。
それでも、スーツ、ネクタイをばっちり着用せねばらないない立場にある人多いようで、満員電車などで見かけた際には頭が下がるような思いです。
中には、どうしても上着やネクタイがないと落ち着かないという人もあるのでしょうか。
喉元過ぎれば・・・
しかし、このような危険な暑さでさえ、夏が終わってしまえば、次第にしばらくの間忘れ去られてしまうものです。
忘れてくれなければ、やりきれないという面もあると思いますが、それにしても人間の意識の移り変わりは激しいものです。夏が終わりやがて冬が訪れれば、今度は寒くて仕方ないと不平を言いたくなるものです。
こんな時は、早く温かくなって欲しいものだと切に願いますが、先日までは、早く涼しくなってほしいと願っていたのです。
やはり、忘れ去ることも人間の一つの大事な機能なのでしょう。また、季節の変遷に敏感に反応する我々の感受性もまた、生存闘争の中で培われてきた大事な機能なのだと思います。しかしながら、これらは対自然という環境下で培われた物であり、対人工ではなかったはずです。
暑さに、体がついていかないこともあるかもしれません。水分はこまめに取りたいものです。近年の気温を考えると、35℃やそれ以上の日も出てきます。やりきれないような気持になる方も多いでしょう。急に35℃を迎えるよりは、少しずつ体を慣らす時間が欲しいものです。どうやっても慣れきれるものではないので、いかに守り切れるかを考えることが大事なのでしょう。